甘楽、水上 2020/03/20-21
群馬県甘楽郡甘楽町、利根郡みなかみ町を訪ねました。

〇2020/3/20金曜日
久しぶりに、小さな旅をします。
今日は、群馬県を訪ねます。
上越線で、蒸気機関車SLも走ります。
朝5時。
水にさしている葡萄の枝の様子をみて、出発。
葡萄は芽が出て、葉が開き始めています。
軽井沢に向かう碓氷峠の手前、富岡で高速道路を降りて、甘楽へ。
道の駅に、車を停めました。
この町は、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が、徳川家康から、大阪夏の陣の後で5万石を与えられたうちの2万石が小幡藩になったところです。
今日まで、全く知らずにいました。JR東日本の大人の休日俱楽部の雑誌を見て、行くことに決めました。
(説明文)小幡は元和元年(1615年)に織田氏の所領となり、以来約150年にわたって治められました。
写真は、町の地図。右が北。下が東。です。

道の駅から、東に坂道を上り、昔からある道にでました。
小幡の信号機のところを左に曲がり、北に歩きました。
当時、このあたりは、町人区画。

雄川堰(おがわせき)です。
道路の脇を流れています。きれいな水です。道の駅付近を流れている雄川の水を、町に引き込んでいます。
(説明文)甘楽町を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米などの多目的に利用されてきた用水路で、日本名水100選にも選ばれています。


桜の開花標本木がありました。

織田家の守護神である小幡八幡宮を参拝。
小さな神社です。
(説明文)3代目信昌の時代に創建された神社で、例大祭には、屋台や神楽が町内を練り歩きます。
この屋台、京都や飛騨高山のような華麗さはありませんが、素朴な味わいがあると評判です。

養蚕農家群の町並みです。
明治時代、創業した富岡製糸場も近いです。養蚕が盛んだったと思います。結構、豪邸です。
引き返して、南に歩きました。
中間地点に、大手門の礎石。

ここから、南側は武家区画。
右手に、甘楽町歴史民俗資料館のところに、「かかあ天下」の碑がありました。
意味は、「夫を従える強い妻」ではなく、妻が朝から晩までよく働くので、夫が『かかあ天下一』とほめたのが由来だそうです。
納得しました!

左に折れて、畑の中を流れる雄川堰(おがわせき)に行ってみました。
ここから、南に歩いていきました。堰の水を汲む石段に対し、渡るのは一枚の板の小橋。絵になります。

三番口取水口。写真では、右横に流れていくところが取水口。

水は大事です。「水をかえないこと」の標識。「流れを変えないこと」の意味です。

畑は、春。


二番口取水口。

一番口取水口。

雄川堰(おがわせき)が幹とすると、水が枝のように横に分かれて、町の各区に流れて行ってました。

飲んではいないと思いますが、奥さんがバケツで水を汲んでいる光景をみかけました。
この先に、大口といって、雄川から雄川堰に引き込むところがあります。遠いので、後で、車で行ってみます。
戻りました。
中小路。
藩主が通った道。道幅が14mと広い。織田宗家の格を表すようです。

高橋家。
江戸時代の武家屋敷。
勘定奉行を務めた家。

勤めの心構えを形に表した池:心字池の庭園。樹。がありました。

現在も子孫の方がおられ、敷地内で事業を営んでいました。
高橋家のムクロジと御殿桜。

織田家が7代続いたあとは松平家。
その大奥。
(説明文)大奥といっても2万石の小幡では、奥方と何人かの腰元だけでした。庭園は江戸後期に造られ、静の庭(流れのない池)と言われる大奥にふさわしい落ち着いた感じの庭園です。
旧陣屋の石垣。当時のもののようです。

その石垣の角が、「喰い違い郭(くるわ)」。
クランクです。二人がすれ違い出来るぐらいの大きさ。お城にあるような大きいものではありません。
(説明文)旧陣屋の中小路に面して造られた。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。

道なりに進むと、大名庭園 名勝 楽山園にたどり着きました。
(説明文)織田信長の次男信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園です。7年と数万両を投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さが偲ばれます。

九間長屋の復元があり、当時の長屋の感じを味わうことができました。

ここに、織田信雄が、「羽柴秀吉には注意しなさい。」と書いた手紙がありました。
徳川・織田信雄は、羽柴秀吉と小牧・長久手の戦いをしています。


雄川に出ました。
来てみてわかりました。雄川のほうが、町よりずっと低いのです。従い、町の付近では、町に雄川の水を引き込むことはできません。

川沿いを道の駅まで歩きました。
桜。

道の駅に戻り、休憩。下仁田ネギを購入しました。
道の駅に、江戸時代、山形で名主を務めた松井家を移築復元したものがありました。
(説明文)建築年代は江戸中期(18~19世紀初頭)とされ、この地方の代表的な農家造りの住宅として当時の生活の様子がうかがえます。

車で、町の周辺に行ってみました。
松浦氏屋敷。小幡藩武家屋敷。池には、水が引き込まれていました。


長厳寺(ちょうごんじ)。毘沙門を祭っている。
崇福寺。
織田信長の系譜 織田宗家七代(初代信雄から七代信富まで)の墓がある寺です。
位牌堂。

墓は、一列に並んでいました。修復中。

最後、大口に行ってみました。
このあたりは、雄川は、まだ土地より低いのですが、樋のような構造物をつくり、雄川の水を引き込んでいました。ここが雄川堰の出発点。
写真では、下のほう、横に石造りのところ。上が雄川。

これで小幡藩の甘楽の町歩きは終了。
歴史を感じ取りました。
沼田に移動。苺「やよいひめ」を購入。
後閑駅裏の山の中にある、みなかみ町営「三峰の湯」に行きました。
工事現場のような建物。これがいいんですね。源泉も少し熱め。内湯と露天風呂はガラス窓一枚の隔たりのみ。冬の林の景色を見ての入浴は気持ちよかったです。

上越線の電車を撮影しました。

蒸気機関車SLを撮影します。
小さな神社の前で待っている間に、マメ柴犬を連れたご年配にお会いしました。
親戚のお家の飼い犬に連れられて散歩していると。いいですね。

この春、最初のSLです。機関車は、C61。
汽笛がグッときました。

今晩の宿は、谷川岳ラズベリー ユースホステル。
ここより南は晴れ。北は曇りか雪。
谷川岳は凍っていますね。

久しぶりの谷川岳が見える水上。記念撮影してもらいました。

夕食。

お風呂は、「湯テルメ」で温泉。
露天風呂にはいりながら、夜空を眺めるのって、良い気分でした。
戻って、お茶会。大人のお茶会。

宿泊客のみなさまと談笑。
眠くなってきました。
おやすみなさい。
3/21土曜日の朝。おはようございます。
谷川岳が綺麗。

ラズベリー ユースホステル。お世話になりました。朝食をいただいて、まっすぐ帰宅しました。

〇2020/3/20金曜日
久しぶりに、小さな旅をします。
今日は、群馬県を訪ねます。
上越線で、蒸気機関車SLも走ります。
朝5時。
水にさしている葡萄の枝の様子をみて、出発。
葡萄は芽が出て、葉が開き始めています。
軽井沢に向かう碓氷峠の手前、富岡で高速道路を降りて、甘楽へ。
道の駅に、車を停めました。
この町は、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が、徳川家康から、大阪夏の陣の後で5万石を与えられたうちの2万石が小幡藩になったところです。
今日まで、全く知らずにいました。JR東日本の大人の休日俱楽部の雑誌を見て、行くことに決めました。
(説明文)小幡は元和元年(1615年)に織田氏の所領となり、以来約150年にわたって治められました。
写真は、町の地図。右が北。下が東。です。
道の駅から、東に坂道を上り、昔からある道にでました。
小幡の信号機のところを左に曲がり、北に歩きました。
当時、このあたりは、町人区画。
雄川堰(おがわせき)です。
道路の脇を流れています。きれいな水です。道の駅付近を流れている雄川の水を、町に引き込んでいます。
(説明文)甘楽町を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米などの多目的に利用されてきた用水路で、日本名水100選にも選ばれています。
桜の開花標本木がありました。
織田家の守護神である小幡八幡宮を参拝。
小さな神社です。
(説明文)3代目信昌の時代に創建された神社で、例大祭には、屋台や神楽が町内を練り歩きます。
この屋台、京都や飛騨高山のような華麗さはありませんが、素朴な味わいがあると評判です。
養蚕農家群の町並みです。
明治時代、創業した富岡製糸場も近いです。養蚕が盛んだったと思います。結構、豪邸です。
引き返して、南に歩きました。
中間地点に、大手門の礎石。
ここから、南側は武家区画。
右手に、甘楽町歴史民俗資料館のところに、「かかあ天下」の碑がありました。
意味は、「夫を従える強い妻」ではなく、妻が朝から晩までよく働くので、夫が『かかあ天下一』とほめたのが由来だそうです。
納得しました!
左に折れて、畑の中を流れる雄川堰(おがわせき)に行ってみました。
ここから、南に歩いていきました。堰の水を汲む石段に対し、渡るのは一枚の板の小橋。絵になります。
三番口取水口。写真では、右横に流れていくところが取水口。
水は大事です。「水をかえないこと」の標識。「流れを変えないこと」の意味です。
畑は、春。
二番口取水口。
一番口取水口。
雄川堰(おがわせき)が幹とすると、水が枝のように横に分かれて、町の各区に流れて行ってました。
飲んではいないと思いますが、奥さんがバケツで水を汲んでいる光景をみかけました。
この先に、大口といって、雄川から雄川堰に引き込むところがあります。遠いので、後で、車で行ってみます。
戻りました。
中小路。
藩主が通った道。道幅が14mと広い。織田宗家の格を表すようです。
高橋家。
江戸時代の武家屋敷。
勘定奉行を務めた家。
勤めの心構えを形に表した池:心字池の庭園。樹。がありました。
現在も子孫の方がおられ、敷地内で事業を営んでいました。
高橋家のムクロジと御殿桜。
織田家が7代続いたあとは松平家。
その大奥。
(説明文)大奥といっても2万石の小幡では、奥方と何人かの腰元だけでした。庭園は江戸後期に造られ、静の庭(流れのない池)と言われる大奥にふさわしい落ち着いた感じの庭園です。
旧陣屋の石垣。当時のもののようです。
その石垣の角が、「喰い違い郭(くるわ)」。
クランクです。二人がすれ違い出来るぐらいの大きさ。お城にあるような大きいものではありません。
(説明文)旧陣屋の中小路に面して造られた。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。
道なりに進むと、大名庭園 名勝 楽山園にたどり着きました。
(説明文)織田信長の次男信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園です。7年と数万両を投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さが偲ばれます。
九間長屋の復元があり、当時の長屋の感じを味わうことができました。
ここに、織田信雄が、「羽柴秀吉には注意しなさい。」と書いた手紙がありました。
徳川・織田信雄は、羽柴秀吉と小牧・長久手の戦いをしています。
雄川に出ました。
来てみてわかりました。雄川のほうが、町よりずっと低いのです。従い、町の付近では、町に雄川の水を引き込むことはできません。
川沿いを道の駅まで歩きました。
桜。
道の駅に戻り、休憩。下仁田ネギを購入しました。
道の駅に、江戸時代、山形で名主を務めた松井家を移築復元したものがありました。
(説明文)建築年代は江戸中期(18~19世紀初頭)とされ、この地方の代表的な農家造りの住宅として当時の生活の様子がうかがえます。
車で、町の周辺に行ってみました。
松浦氏屋敷。小幡藩武家屋敷。池には、水が引き込まれていました。
長厳寺(ちょうごんじ)。毘沙門を祭っている。
崇福寺。
織田信長の系譜 織田宗家七代(初代信雄から七代信富まで)の墓がある寺です。
位牌堂。
墓は、一列に並んでいました。修復中。
最後、大口に行ってみました。
このあたりは、雄川は、まだ土地より低いのですが、樋のような構造物をつくり、雄川の水を引き込んでいました。ここが雄川堰の出発点。
写真では、下のほう、横に石造りのところ。上が雄川。
これで小幡藩の甘楽の町歩きは終了。
歴史を感じ取りました。
沼田に移動。苺「やよいひめ」を購入。
後閑駅裏の山の中にある、みなかみ町営「三峰の湯」に行きました。
工事現場のような建物。これがいいんですね。源泉も少し熱め。内湯と露天風呂はガラス窓一枚の隔たりのみ。冬の林の景色を見ての入浴は気持ちよかったです。
上越線の電車を撮影しました。
蒸気機関車SLを撮影します。
小さな神社の前で待っている間に、マメ柴犬を連れたご年配にお会いしました。
親戚のお家の飼い犬に連れられて散歩していると。いいですね。
この春、最初のSLです。機関車は、C61。
汽笛がグッときました。
今晩の宿は、谷川岳ラズベリー ユースホステル。
ここより南は晴れ。北は曇りか雪。
谷川岳は凍っていますね。
久しぶりの谷川岳が見える水上。記念撮影してもらいました。
夕食。
お風呂は、「湯テルメ」で温泉。
露天風呂にはいりながら、夜空を眺めるのって、良い気分でした。
戻って、お茶会。大人のお茶会。
宿泊客のみなさまと談笑。
眠くなってきました。
おやすみなさい。
3/21土曜日の朝。おはようございます。
谷川岳が綺麗。
ラズベリー ユースホステル。お世話になりました。朝食をいただいて、まっすぐ帰宅しました。
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